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生きている感触

生きている感触

いろいろ、面倒くさい。

今年(2014年)の春の始めころ、公園の桜の木の下に腰かけているとき、ふと、そんな思いが巡るときがありました。

そのときはまだ、ストーマ(人工肛門)がおなかにあるときでした。それでも次第に体力は回復していきます。それと比例して増してくる、日常への焦り。

それでも、健康と呼べる程度からはほど遠く、でも収入は途絶えたままで、漠然とした不安が常にあるのでした。

そして、これまでは必死に「命」のためだけに費やしてきた力を、回復したら「生活」のために使い、試行錯誤していかなければなりません。家賃を払い、光熱費を払い、税金を払い……。そう思うと、「命」というのは単純明快なものです。

そんなことが悶々と頭の中を巡り巡っているうち、「なんだか、めんどうくさいなあ」とつぶやいてしまうのでした。

生死の境をさまよってきたとは思えない、生活感あふれる発言。

言うなれば、ヒマラヤに投げ出されて命からがら帰ってきたというくらいの体験(わたしにとって)をしてきたというのに、すでにフツーすぎるため息。

……。

そこで思い出す、数ヶ月前の惨事。そして緊急手術後の医師の言葉。

「命に関わる病気でした」。

(……たしかにわたしは、あのとき死んでいたかもしれないのだった。いや、すべての運のピースがそろっていなければ、おそらく死んでいた)。

そんな、手を伸ばせば届くようなところに「死」があったなんて。
そこでふと、大きな虚無を感じました。

もしもあのとき死んでいたら、わたしの存在はすでに、ここから無くなっていたのでした。わたしのいるべき場所には、ぽっかりと何もない空間ばかりだったはず。わたしを知る人にも、わたし自身にも「木口マリの未来」というものはもう存在しなくて、そう思ってくれる人と目を合わせることもできなかったのでした。

そのとき座っていたベンチの木の感触もなく、青い空に浮かぶ雲を目で追うこともなく、ヘリコプターの飛ぶ音を聞くこともなく、今見える、感じるもののすべてがなかったかもしれない。

そう思うと、「わたしの存在が消える」ということが、現実のものとしてありありと感じられるのでした。

スッと、息を止めるような、自分自身が風に溶け込んでさらさらとなくなっていくような、そんな気がしました。


……しかし、あのときの運はそろっていて、今、こうして生きていることができます。

「めんどうくさいなあ」も、生きているから思えることです。たしかに、面倒なことはいろいろありますが、生きていると感じられるならば、それはそんなに悪いことではありません。

それからは、どんな細かい感触にも、ちょっとしたありがたみを覚えるようになりました。

お風呂に沈んで「きもちいいなあ」と思うときや、朝ごはんにあたたかいココアを飲んでホッとするときはもちろん、物音を耳にしたり、本の重みを手に感じたり、柔らかい服にそでを通したりするときも、今、生きて感じているのだなあと思うのです。

術後後遺症のために毎日行わなければならない(面倒くさい)マッサージをしていても、肌の柔らかさや体の温度を感じられるのはうれしいこと。

そのすべてが、なかったかもしれない。

感覚というのはあまりに当たり前すぎて、特に考えることもありませんでした。しかし、それが死を境にすべて消え去ってしまうことを考えたら、それらはいずれも、生きて存在する証だと思うのです。

生きていることは毎日、毎秒感じることができます。
それはとても大切なことだと思います。

そうはいっても、もしかしたら、明日、なにかしらで死んでしまうかもしれません。
そうでなくても、いつかは死んでしまいます。

けれどこうして生きているうちに、生きることに感謝する気持ちを持つことができたのは、それ自体、とてもうれしいことでした。そして、それぞれの感覚はわたし自身が自分で実感できる「わたしが生きた時間」だと思うのです。

今、こうしてパソコンのキーをたたいている間も、指先で「生きているんだなあ」という気がしています。

すべてに生きている感覚があって、それに感謝することができれば、精一杯生きていると感じることができるのではないかと思います。そう思うと、いつか死んでしまってこの場にいなくなってしまうのは切ないけれど、少し、「死」自体に対する見え方も変わってくるのでした。

(「古代エジプトっぽい照明」に続く)

生きている感いっぱいの花
生きている感いっぱい
[療養中フォトギャラリー by iPhone (c)木口マリ]

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~ Comment ~

NoTitle

まさに同感です。

五感の全てが生きている実感。
普通の日々が当たり前ではない。
めんどくささも煩わしさも生きていればこそ。

それらをちゃんと覚えておけよーという思し召しだったのかも
と、思います。私。

手抜きしまくりの生き方ばかりだったからw

生きている感触を感じる時って体を動かしている時じゃなく、ジッとしている時が多くないですか?
見上げた空や揺れる草木や雨の雫や聞こえる子供の歓声や抱きしめた動物の温もり…
五感で生きていることを実感することが多い気がします

  • #381 ちっくたっくぼんぼん 
  • URL 
  • 2014.10/07 00:19 
  •  ▲EntryTop 

NoTitle

おはよー。
うんうん。まったくまったく、あたしもそう思うよー。
がんにならなかったら気付くこともない
当たり前のことがたくさんあって~
感謝って言う言葉の重さや深さを思い知った~
でも~こうして元気になって・・・ま、それなりにいろいろあるけどw
有難味も忘れがちになったりするんだよね~(ーー;)
あかーん(ーー;)
この記事を時々読んで、胸にしっかりと刻まなくちゃ~。
ありがとね~(^o^)
めんどくさ~の口癖も控えよう~σ(^◇^;)

>ゆるり さん

当たり前にあることはなかなか気付きづらいですよね。
失いかけてからじゃないと、あるものにも気が付かないって、目の前にダンゴがあるのに長くありすぎて見えてないみたいなものですね(^^)
人間って……。

>ちっくたっくぼんぼん さん

たしかに、そうですね〜。
脳ミソが感じたものを気持ちレベルで理解するのは体が落ち着いている時なのかもですね。
身体的にも気持ち的にも、立ち止まることが必要なんだなあ。

動物抱きしめたくなっちゃいました……(-▽-)

>kikako さん

おはよーございますー。
そうなんですよね。実を言いますと、こんなん書いておきながら、私もすでに忘れかけてました。
死にかけたなあ、生きててよかったなあ、というのは覚えているんですが、メモを見返して、公園で感じたことがちょっと薄くなってる「あかーん」と思ったわけです。
人間の忘却機能は優れていますなあ。
でも今はしっかり思い出しました。忘れないように五感を大事にしていきたいと思います!

忘れていました。感謝

こんばんは~♪

なんか・・考えさせられます。
病気の症状が出なくなると
生きてる実感も忘れてしまいそうです(>_<)

いつかは 居なくなるこの世の中ですが
生きてる限り 今 この時を大切にしなければ・・

改めて感謝しなければなりません。

思い起こさせてくださって
ありがとうございます。

>ヨンヨン さん

どーもー!

おそらく生きていることを実感しながら生きている生き物って、他にいないんじゃないかと思うんです。
人には感謝できるものがたくさん。それを感じてジ〜ンとなれるなら、生きているだけで幸せがいっぱいですよね。
人間って、おトクです。

おにぎり、棚田米だって言っていました。それを土鍋か何かで炊いているそうです。
おいしいお米が食べられるのも幸せのひとつですね〜〜〜。

初めまして!

いつも読み逃げでしたが初コメです!!

本当ですねー。

面倒くさいと思えるのも、こうして今があるからこそですね!
それだけ元気になった証拠とも言えるのかなぁ?

いつもの日常を普通に過ごせるという事は、実は
すごい事なんだ!って思いますね~(笑)
(でも、元気になるとすぐ忘れちゃうんだけど、、汗)

私も今、術後ほぼ1年半経過し、とりあえず、何事も無く
過ごせていることに感謝です。
普通の生活がまた送れていることに感謝です。

こちらの先生は「こうしていられるのは神様からの贈りものなんだから、
しっかり経過観察して大事になさい」と言われました(笑)

日本の先生はそういう事は言わないですけどね(笑)

お互い、毎日の日常に感謝しつつ、おばあちゃんになるまで
頑張りましょう!

ブログ、楽しみにしています!

>沖楽 さん

初コメント、ありがとうございます!

ブログも拝読しました。
海外で発見だったんですね〜(><)それは不安だったでしょうね。
ブログからは不安さをあまり感じなかったですが(^^;

「神様からの贈り物」信仰のはっきりしている国らしい表現ですね。
日本で言ったら、間違いなくあやしまれますね。でもほんと、神様だか自然だか、大きな力で生かされているのだと思います。大切にしていきたいですね。

今晩は☆
何だか、考えさせられます。
自分で生きているつもりだけど、今、心臓を止めろと言われても自分では止められません。かと言って、生きていくと思っても、一瞬先はわからないんです。
自分の意思ではどうすることも出来ない事があるのを知る時、初めて生かされているのかな〜と思います。それを神様と言うのか、自然の法則と言うのか…。
こうして、マリさんのブログを読ませて貰って、命について考えさせてもらえるのも、何かのおかげなんですよね。
与えられた命を、大切にしなくてはと思います(*^_^*)

>アイビー さん

どもー♪

そうなんですよね。
いつ来るかは分かりませんが、生きることもいつかは終わります。
今、終わってしまうかもしれません。
でもそれは生き物としての成り行きですもんね。
それを恐れていることには意味がないと思いました。
でもやっぱり死が恐いと思うのは多くの人に当たり前で、それをどうしたらいいかと言ったら、今のこの一瞬を大切に胸に抱えて生きることだと思うんです。必ず失うのなら、持っている間は精一杯大事にしたいですよね。

ま、これは動物を飼うときに思ったことでもあるんですが(^^)

NoTitle

こんばんは。生きている感触、いっぱいありますよね。
今の季節だと走っていて金木犀の香りを感じた時、「ああ、今年も金木犀の香りをかぐことができて良かった。」とつくづく思います。
正直面倒くさいことも逃げたいこともいっぱいありますが、それをなんとかこなせるのも生きているからこそですよね。
きばなコスモス、秋空に映えてきれいですね。最近は菊の花がだんだんすきになってきました。歳をとった証拠かなあ(笑)

>ルッコラ さん

そこにあるのが当たり前で見逃してしまうような、そんな中にこそ、たくさんのことが詰まっているのだろうと思います。いつもそこにあったのに、なにか大きな出来事があって立ち止まってみて、やっと気付くものですね。
だから、わたしも花が好きになりました。よく花の写真を撮るのも、その中にパッと見ただけでは見えないものを見える形にできるからです。話がそれますが、それが写真の役割だと思っています。

歳をとると涙もろくなるという話を聞きます。でもそれは年齢というより、生きていろいろな経験を積み重ねたから、見える物が変わってくるのだろうなと思いました。おもしろいですよね。私も菊好きですよー!
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