わたしはもう、子供を産めないけれど

わたしはもう、子供を産めないけれど

わたしは、当然ながら「赤ちゃんの入った大きなハラを抱えて歩く」ということができません。今後、余程劇的な医学の進歩でもない限り、一生、その可能性はないでしょう。

がんが見つかったのは38歳という、がんじゃなくてもいささか高齢出産的な年ではあったけれど、たとえ40代でもバリバリ産む気のあったわたしにとって、それはとても残念なことではあります。

かといって、この状況に至るまでの、自分が下した決断に何一つ後悔はしていないし、だからこそ続く未来もあると思っています。



「友人、知人ががんになった時、どのように付き合っていったらいいか分からない」

これは、よく聞く話です。
実際、がんになったわたしでさえ、知人に「がんになりまして」と言われた時、一瞬何を言ったらいいのか分からないことがありました。がんの人が分からないのに、がんと遠く離れた世界にいる(ような気がしている)人が戸惑ってしまうのは当然のことかもしれません。

先日、Microsoftでお話をさせていただいた時、フリーディスカッションの中でこんな質問がありました。

「がんになった知人を、子供を連れて訪ねていいものだろうか」

その方は、特に婦人科系のがんの人のことを意識して質問したわけではなかったと思いますが、一応、わたしは「子供を産めなくなってしまった人」という視点から、「まずは本人に聞いてみて、なんだったら断る選択肢も与えてあげたらどうでしょう」というような話をしました。
そして、わたしの場合で言うと、「友達の子供に会うのはまったく嫌ではなく、逆に甥っ子のようにかわいい」と。

しかし、その後、何やら自分の中でモヤモヤしたものが残っていることに気が付きました。
「わたしは、本当に『嫌ではない』と思っているのだろうか」

「甥っ子のようにかわいい」は心からそう思うし(思わず、おばあちゃんの如く、あれこれ買ってあげたくなるほどに)、がん仲間が「妊娠した」と知らせてくれた時など、とてもうれしかったのは事実。
もちろん、うらやましくもありながら、それでも、わたしができなかったことを友達がしてくれていることが、疑似体験的に喜ばしいのです。

ところが、「赤ちゃん」や「幸せそうなパパとママと子供の風景」を見たくないと思う時があるのでした。Facebookの投稿で見かけても、時として、さっさとスクロールしてしまうことがあります。

その、「うれしい」と「見たくない」の狭間には何があるのか。

ひとつに、わたしがうれしいと感じるのは、わたしの現状をちゃんと理解した上で、それでもあえて「知ってもらいたい、会ってもらいたい」と思ってくれる場合です。「キグチなら、きっと喜んでくれるだろう」と。
わたしのことを分かってくれているのも、わたしに知らせたいと思ってくれるのもうれしいのでした。そしてわたしも素直に、いい知らせを受けて楽しい気分になるのです。

ただし、それには条件があることに気が付きました。

それは、その中に派手な喜びの感情表現がないことです。
Facebook投稿の子供の記述や写真を見て、単純に「かわいいな」と、偽りなく感じるのも、そういったもの。

そして逆に、足早ならぬ、指早でスクロールするのは、「今、最高に幸せ!!」という感情がにじみ出ているものなのでした。

こう書くと、すごく心の狭い人っぽい。

うれしいことは悪いことではないし、子供の誕生などは世間一般的に喜ばしいネタであったりします。そこにネガティブな感情が湧いてくるという自分を、余計に嫌な人間であるような気がして、どつぼにはまっていくのでした。

でもそれは、わたしが本当に感じていることなので、仕方ない。

多分、わたしの中には、「納得はしているけれど抱えているもの」があるのだろうと思います。子供を持つことに限らず、人によっては結婚相手だったり、事業での成功だったり、求めているけど手に入らない状態でいる時に、それを持った人に「うれしいうれしい」と言われるとカチンとくるのが普通の反応じゃないかと思います。

(そんなことを考えていて、逆にいくつか自分の失敗談を思い出しました。
今さら「こういうことだったのか!」ということがあったなあ、と。それはまたの機会に書くとします)

以前、友人に「幸せな時ほど気を付けた方がいい」というアドバイスをもらいました。自分の幸せが、逆に人を傷つけることがあるという意味です。

といっても、自分が幸せに感じていることが、人に幸せをもたらす場合もあります。そのあたりの幸せのあげ方のバランスは経験で気付いていくものなのでしょう。

また、自分の持つことのない“人の幸せを受け取る”バランスも、経験で知っていくものだと思います。

病気で突然、子供を産めない事実が確定してしまったり、体の自由がきかなくなってしまったり、もしくは友人が病気になることも、そんな時は、たとえ人間として生きてきた経験がウン十年あったとしても、その事実からの経験はこれから積んでいくものです。

どんな人生の挑戦でもそうですが、まずは一歩を踏み出してみることが大事。もしかしたら失敗することもあるかもしれませんが、それでもいいんじゃないかと思います。当たって砕けても、そこから何かが始まるのが人間の面白いところ。次に必ずつながるものがあるのなら、砕けてみるのも悪くない気がします。



ところで、わたし個人としては、「当たったらキグチが壊れるのではないか」と心配してくれることも、当たってみて欲しいと思っています。実を言うと、「キグチはこれに耐えられないかも」と勝手に思われるのが好きではありません。
「耐えられないでしょ?」と思われると、なんだとコノヤロー精神がズズイと登場するのでした。本当に耐えられないかどうかは、わたしが判断したいのです。

しかし、もしもそう思ってくれるのが友人であるのなら(たとえ余計なことだとしても)、気遣おうとする気持ちも分かります。それはそれで、有り難いことでもあると思うのでした。

なんにせよ、誰においても、とにかく声に出してみるのが始まりだと思います。「余計なことかもれいないけど、どう伝えたらいいか分からなくて」から始まってもいいかもしれません。お互いに、本当の気持ちが分からないまま推測で判断するなんて、目を閉じて矢を射っているようなものでしょう。



言葉がなければ伝わらない、人間という生き物は、多方面に厄介です。
しかし、言葉があることで、人と人のつながりはより強くなることもあるでしょう。そして、それが人の支えになっていくこともあるはず。

わたしには、そういった友人がいてくれます。そのおかげで、自分がたどれない人生を、自分のことのように見ていくことができるのでした。そしてまた、わたしにしかできない生き方も、だれかと共有できればと思います。

それぞれの花
それぞれが見た花を、それぞれの言葉で語れたら、果てしない数の花を感じられるかもしれません
[療養中フォトギャラリー by iPhone (c)木口マリ]

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~ Comment ~

木口さま
こんにちは、がんの苦しい、葛藤する部分ですね。私なら素直になれないと思います。

私も、産めないけど。

マリさん、とても共感。
なかなか、心で思うことを伝えられないもどかしさを代弁してもらったような・・。

そして、なんだか自分を振り返ってしまいます。・・この後、長文を書いたものの、マリさんのように上手く伝えられない気がして削除。この話は、マリさんと直接じっくり話たいなぁ。

と、書くと未練や不満があるみたいですが、今の人生、なかなか楽しくやれてる気がしてます。
生きてるだけで、まる儲けや!

産んではいないけど、
私に寄って来てくれる甥っ子やら友人の子やらもいますしね♥

>チェリーさん

こんにちは!
私もやはり、心の奥にくすぶるものはあります。喜びながら、切なさも感じるような。
ただ、それもうまくコントロールできるようになっていくものだと思います。
そこから見えるものもたくさんありますし^^

>あうさん

あうさん、ありがとうございますー♪
未練とまでいかなくても、やっぱりいろいろ感じるものはありますよね。
こういった体験をすると、ものの見え方も以前とは少し違っていると思います。
人生って不思議だな〜。

あうさんも、周りに素敵な友達や家族がいますね。
おいっこちゃんもかわいいし!
実は私はどちらかと言うと子供が苦手な方なんですが、友達のチビッコがとってもお気に入りです。
てててててと走って抱きついてきたりして、こんな子供を持つ人生もあるのだなあと思ったりします。
子育ては大変なことも多いでしょうが、おいしいとこだけもらってます(-▽-)

pusu

私は、旅行したよ~とかキラキラ女子会?の記事はザーッと遠い目で見てますよ(笑)それでも景色は行った気になれるし、集まりが苦手な分、へ=こんなことが楽しいんだ~みたいな興味や、疑似体験しています。「共有」は好き。他人様のブログを覗くのは、何したっていうより、その人の考えが見えるのが面白いからかな。そして「次」が気になる。
夢は叶わぬまま死ぬかもしれないものだと思ってます。今までだってやりたい事沢山あったのに、沢山諦めてきた!(中には二度と取り返しのつかないものもあります。) それでも「今に見てろよ」と思うなら、どうしてもせずに居れないこと、許されることをちょっとずつやるしかないのかなと思う。時には余計なものを振り払う勇気も要ります。(SNSなんかも...)

がんになった知人を子連れで訪ねてもいいか?は、来てねって言われたら行けば?としか言いようがない。(←サイテーだな私) 私が行く側だとしたら連れては行かない。置いて行けないなら聞くし、そんなのがんじゃなくても一緒ですからね。嫌だと思うツボって「かわいいでしょう?」みたいな一瞬子供中心になる空気じゃないですか?それは共有ではなくて押し付けなんですよね。(相手の出方しだいで、わかっててもやってる時がある^^;)

私も

うめなくなっちゃいました。子宮体がんで全摘。幼稚園の先生してました。時々会う保護者、同僚からの子どもまだ…?の声。結婚したら子どもとの生活が当たり前の世界が今もきつい。でも、今生きている。
生きているんだー。何が幸せかわからないけどたぶん今、幸せです。今日脱ウィッグできました( ;∀;)
すみません、タイトルに引っかかって人生二度目のコメントです…

>pusuさん

人生、やりたくてもできないことの方が多いものですよね。
病気の場合は無理に諦めざるを得ないことから、余計に悲しい気分になる人も多いと思います。
特に気持ちの折り合いがまだ付けられていない地点にいる時は、どうあがいてもダメだったりしますしね。
ただ、別のすべての道が閉ざされるわけではないので、みんな、そこから得られる最高のものを探していければいいなと思います。

「がんじゃなくても一緒」、まさにその通りなんですよね〜。
なぜか「がん」という強烈なインパクトが先に立ってしまって、オロオロしてしまうわけです。
がんの人は本当に増えているし、治る人も多いので、もしかしたらそういったオロオロも自然消滅するかもしれないなと思っています。
「かわいいでしょう?」は、普通でも嫌ですね(笑)。私は犬とか猫とかすごく好きなんですが、「うちの子見て見て」という飼い主がいる場合はあえて見ません。(友達の犬猫は除く!)

>あこさん

人生二度目のコメント、ありがとうございます!
そして、脱ウイッグ、おめでとうございます(^^)/
私の髪は、抗がん剤の影響のカールヘアーが毛先に残っているために、昔から憧れていた天然パーマ状態です。
大変気に入っています。切ると無くなってしまうので、なかなか美容院に行けません(笑)

幼稚園の先生だと、いつも子供に接しているのですよね。
周りの人も「幼稚園の先生は子供が好き」みたいな思いもありますし、余計に期待されてしまうかもしれませんね。
うーん、それって辛い。
どんな職業の人も、子供を産めなくなる場合があることを覚えておかなきゃなと思いました。
「子供を授かることは喜ばしいこと」という気持ちだけで不用意に接すると、逆に落ち込ませてしまうこともありますね。
現代では、がんに限らずいろんな事情の人が増えていると思います。すべての事情を先に考慮することは不可能ですが、思うよりたくさんの生き方があることを思っておきたいです。

ともかく、今、あこさんが幸せな気分でよかったです(^^)
病気って、いろんなことを感じさせてくれますね。

マリさんこんにちは
私は実は52歳(えっ) なのですが、バツイチ再婚、しかし子供が欲しいと思った事は一度もなく、何故か子供も出来ず。そして今欲しくなったらもー命懸けて産むしかない年齢です。(^^;
マリさんはお若いので、心がくすぶるのは当然だと思います。したかった事を目の前に見せられ出来ない自分に落ち込んだり、悔しかったり、時にはちぇって妬んだり。
すごーく自然な感情だと思います。
皆多かれ少なかれそうだと思います。だからそんな自分を肯定してあげてくださいね。(^-^)
私からすると一昨年謎の発作にやられて怖くて運転も電車にも乗れず目標にしてた外国語の勉強もなあなあな中、実にアグレッシブかつポジティブに活動しまくる才能豊かなマリさんは、う、うらやますぃ!の一言。妬んじゃうかもしれない。(^-^)
自分の物差しで図らず自分に出来ることをもっと頑張ろうと反省の今日この頃でした。
とりとめなくてごめんなさい。(^^;

>youreeさん

youreeさん、こんにちは!
誰しも、人をいいなーという目で見ることはあるものだと思います。(逆に、無い人はヘンだと思う-▽-)
それが、一般的に「喜ぶべきもの」として定着しているものだと、喜べない自分に対してもジレンマを感じてしまいますね。
私は病気になって以降、そういう感情があってもいいと思うようになりました。そして、「人は人」というふうにも思います。
その人は私が得られないものを得ることができたけど、私の人生はその人には得られないものだからです。
みんなそうなんですけど(^^;

私をうらやますぃと思ってくださってありがとうございます!
あれこれやりたいと思う気持ちだけが空回りしているもので、まだまだアグレッシブ度が足りません。
もっとできるだろ!と喝を入れる自分がいつつ、ナマケモノの自分もいるのでした。
とりあえずは「自分が心地良いペースでやんなさい」と、第3の自分が言っているので、その通りにのらりくらりとやってます。

外国語の勉強、いいですね!私も中途半端にしているものがあるので、も一度勉強してみようと思います!

マリさん深いですね
それに正直ですね

肉体的にも精神的にも傷付いた経験があれば
物事の全てを肯定的に受け止めるのは難しいです

見るもの聞くものに
だから何?とか
つまんねーとか
わかってないね…とか
斜めに見る事があって当然です

人の幸せは人のもの

私の幸せは私のもの

それでいいよね
幸せを分かち合うなんて、ある意味エゴだからさ








  • #870 ちっくたっくぼんぼん 
  • URL 
  • 2016.03/14 00:04 
  •  ▲EntryTop 

>ちっくたっくぼんぼんさん

傷って、癒えはするけれど、特に深いものの場合はまったく同じ状態に戻りはしないものなのだろうと思います。
ただし、悪い意味だけでなく、同時に良い意味になるものでもあると思います。
でも、そのバランスはかなり不安定で、自分でもわかりにくいのが難点。
同様に、幸せな人が恨まれる場合があるのも、幸せをどう表現するかのバランスが取れないからかもしれないなと思います。
親しい友達なんかだと、どういう人かを分かっているだけに考えていることの推測ができるのですが、全員そういうわけにはいきませんもんね。

斜めに見たり、ひねくれて考えたりするのは、ある意味自分が傷つかないようにするための、動物的な知恵なのかもしれませんね。
幸せの分かち合いは、確かに分かち合ってないかも(^^;
でも逆に、こちらから分けてもらいに向かっていきたいと思う時があります。
仲のいい友達のおなかが大きくなっていく様子は、できれば逐一見て、一緒に経験していきたいという気もしたりして。
でも多分、ずっと見ていると悲しくなることもありそう。そのへんが難しいところです。

今更ですが

二人に一人が癌と言われている今、癌だからと妙に気を使われるのも微妙だけれど、、
うーん。私は一人子供がいるので、またちょっと違うかもしれませんが、これは、癌だからとかじゃなく、子供がいらっしゃらないお家に子供を連れて行くのはなるべくしないかもな。自分の昔からの友達でお互いよく知っているなら連れて行くかもしれませんが。

後は、まぁ、私は子供を連れて行くと大人の会話が出来ない(笑)という理由で、なるべく連れて行きたくないうのもある(笑)

子供が出来ないのは色々な理由があるし、癌で子宮が無い人には連れて行くのに気を使って、癌じゃなくて子供がいない人の場合は連れて行って良いとか、そういうのじゃないと思いますしね~。

物理的に出来ないというのも、悲しい事ではあるけれど、もしかしたら、健康な体のはずなのに、できずに苦しんでいる人は、また私達にはわからない苦しみがあるのかもしれないし、もちろん、計画的に作らない人もいるだろうし、色々だけれど。

なので、「癌だから」という事じゃなく、なんにしろ、この人とは子供を連れて行っても話したいことが話せるか、とか、まずはそういうことを考える方が良いのかな。その場に子供を連れていって良いのか悪いのかは、「癌だから」というのは関係ないと思う。その人との関係の占める所が大きいかもしれませんね。あまり仲良くないなら、それこそ、連れて行かない方が良いと思うし。

以前、癌じゃなく、結婚していないお友達に「沖楽と話していると気が楽。だって、他の友達で子供がいる子は、話しているとすぐ子供の話をするけど、沖楽は私と話している時、子供の話題、殆どしないもんね。」なーんて言われた事があります(笑)

もちろん、私は気を使って避けていたわけじゃないけれど(笑)その友達と一緒にいて楽しく話せるのは子供の話じゃなかったってだけなんだけど(笑)

一人子供がいる私でも、出来なくなった今、芸能人とかのブログであまりにも妊婦が素晴らしい事みたいに書いてあるようなものは、心がざわつくことはありますヨ。こちらの気分のリズムによっても痛い時もあるし、大丈夫な時もあるし、日々是修行ですね(笑)

長々と失礼いたしました!

>沖楽さん

返信遅くてすみません!

そうなんですよね。本当は個々の状況ではなく、お互いの関係で付き合うべきなのだろうと思います。
それは、病気に限らずですね。

なぜか「がん」だったりすると、親しい人であっても対応に戸惑ってしまうようですね。「人」を見ずに、状況だけを見てしまっているのだと思います。でも、優しさから深く考えすぎてしまうという場合もあるでしょうし、それはそれで有難いと思います。
何にしても、いろんな思いがからみあってシンプルにいかないのが人だと思うので、戸惑ってもらう必要がない気持ちを伝えつつ、その人が戸惑う気持ちも理解していこうと思っています。

しかし逆に、あまりにも配慮に欠けたとんでもないことを言う人もいました。
それは子供関係ではなく命に関する話でしたが、ずば抜けた気遣いの欠落ぶりに「珍しい人を見た」という気がしましたね。そこまでいくとショックでも何でもなく、いいネタとしてだけ心に残っています。

妊娠を伝えたり、赤ちゃんや子供に会ってもらうにしても、お互いが望むものをまずは言葉で語ることが大事ですよね。
そこにある程度の配慮を込めるわけですが、どの程度がちょうどいいのかは経験して知っていくものだと思います(ちなみにその珍しい人は私よりだいぶ年上の方なのですが、相当人生経験がないか、学ばない人なんではないかと思います)。

ほんと、日々修行です。
ファイトー

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>Oさん

早速ブログを読んでくださって、ありがとうございます!
とっっってもうれしいです(^^^^^)/

婦人科がんは当然のことながら、そのほかのがんでも同様に影響が及ぶ場合があるんですね。
うっすらと聞いた事があったような気がしますが、今、初めて気持ちの上で実感しました。
私は「卵巣も全部取ります」と言われた時、「子宮がんなのになんで卵巣も??」という思いでいっぱいで、かなりショックでした。Oさんの場合はさらにそういった気持ちが強かったのではないかと想像します(違ったらすみませんっっ)。

妊娠や結婚は一般的に「いい出来事」というのが強く出てしまって、非常にデリケートな問題であることを忘れている人も多いと思います。
特に、自分が結婚したり、子供を持ったりしてよかったと思っている人は、自分がいいと感じるものを人に薦めたくなるものなのかもしれません。(宗教や民間療法を薦めてくる人と似ているかも、なんて思ったりして)

妊娠の話ではないですが、私も以前、若いご家族を亡くした方だと知らずにお話をしていて、あとで考えたらどうも傷つけてしまったようだということがありました。
それ以来、私の知らないものを背負っている人がいるんだということをいつも思うようにしています。それでもやっぱり失敗しますけど(^^;

Oさんとはまたお会いできるような気がしています。
例のモノもお待ちしていますね!

多分ね

マリちゃんは、ガンにならなくても、子供を大人しく育てるタイプじゃないと思う。
自由に世界中に取材にいったり、、だから何も変わらないと思うよ。
高校のマリちゃんの性格ずっと知ってるから。

追記

子供が産まれると、私自身の人格をなくします。
いつも、お母さん、お母さん、お母さん、私にはちゃんと名前があります!
だからマリちゃんにはずっと主役でいて欲しい、輝いていて欲しい♪

ゆっきーさん

子供を育てることは、多分、私などが想像するよりもずっと大変なことがあると思う。それに、いいこともたくさんあるだろうなと思う。
がんになることは、大変だろうということは誰もが想像するだろうし、失うものもたくさん。でも、想像できないほど得るものもたくさんあることを知ったよ。私の人生にはがんがあるべきだったのだろうと思います。
私はもう子供を産むことはできないけれど、それは諦めたということではなく、別の形になったのだと思っています。
もしかしたら、望まれずに生まれた子供を引き取ることになるかもしれない。
思いもよらない、意外な出来事が起こるのが人生の面白いところだと思う。そこには困難も多いはず。でも、すべてが新しい自分や、人生の物語を作り上げていくための要素になっているものだと思います。
私がもしお母さんであったとしても、それも私の一部。だれもが自分の人生の主役だと思う。ゆっきーも主役で、輝いているんだよ。

感動したよ~
なんか、いつもポジティブ、しかも久々の文章力!ありがと!!

>ゆっきーさん

お互いに主役がんばろーね(>▽<)/
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