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がんから得た、両親との時間

がんから得た、両親との時間

「親孝行、したいときには親はなし」といいますが、実際なにが親孝行かといえば、ひとつはとにかく一緒に時間をすごすことではないかと思います。

わたしの場合、親孝行どころかえらく心配をかけた上に、ひとりでは身の回りの世話ができないという事態になってしまいました。どちらかといえばかなり親不孝者という部類であります。

しかしそこから相当自分勝手にプラスで見た場合、この30代後半という年齢にしてこれだけ一緒に両親とすごせたというのは、とてもいい機会だったのではないかと思うのです。
こんな機会は、ひとたびも目が離せない乳幼児時代以来。そして、おそらくは今後もそんな時間を得ることはないでしょう。

◇◇

入院中、父と母は毎日のように交代で病院にお見舞いに来てくれました。

実をいうと、これまでわたしは父がどんな人間であるかを知りませんでした。定年前の父は、いわゆる会社人間で、よくある都心から離れた郊外に一戸建てを買い、例にもれず早朝に出勤せねばならないという、当時の典型的サラリーマン。わたしが子供のころは、朝起きる前にすでに出かけていて就寝後に帰ってくるため、まともに話をした覚えがありませんでした。そのうち大きくなれば子供は親どころではなくなってしまうという、これまたありがちな悲しい父の道。

それが、わたしが病気になり、身動きが取れないことをいい機会に、ようやくじっくり話をすることができたのでした。なにしろ、入院中の行くあてといえば屋上庭園と売店くらいで、そのほかは話をする以外にやることがないのです。
ともあれ、こんな年になって、初めて父の「人」を見ることができたのでした。意外と奥深い父に、この人にも長い人生があったんだなあと、当たり前のことにしみじみしたりして。

母に関しては、前回も書いたように、わたしのアパートに泊まり込みで来てくれました。(実家に帰ろうとはこれっぽっちも思いませんでした)。
抗がん剤の投薬後2〜3日目の副作用が出始めるころからしばらくの間、つきっきりです。朝も昼も夜も、そばにいてくれました。
具合のいいときには近くの公園を一緒に散歩しました。体力は母よりもなくなっていたため、ほんのちょっと歩くくらいです。たまにベンチに座ってお茶を飲んだりして。
健康なときのようにひたすら話をするわけではなく、ほとんどの間はただ一緒にいるだけ。それでも、とても安心感がありました。

もしも、この時のわたしの状況で、母がすでにこの世にいなかったら、どんなに怖い思いをしていたかと思います。特に具合が悪いときなど、母の存在がないことを想像しただけでも不安は計り知れませんでした。普段、いるのが当たり前のような気がしていましたが、気持ちのうえでの支えは相当に大きいものです。

わたしの体調が回復してくると、母は実家に帰っていきました。荷物をまとめてカートを引っ張って、「具合が悪かったらいつでも呼んでね」と言って玄関を出て行きます。歩いて去っていくのをベランダからも見送ったりして。
そのあとは毎回、なんとなく部屋に空虚感が漂うのでした。毎朝「モーニングティー!」と言ってベッドサイドにお茶を持ってきてくれたことも懐かしく思い出します。またひとりに戻っただけなのに。

それも2日もすればもと通り、平気になってしまうのですが、ずっとそこにいた人がいなくなることの寂しさは、経験として心にとめておきたいと思います。

10年以上前、母が救急車で運ばれたことがありました。そのとき初めて、「親はいつまでもいるわけではないんだ!」と気付いたものです。それからは以前よりも親のことを気にしてはいました。それでも自分の生活のすべてをさしおいて親とすごすなんてことは、無理矢理にでもそうさせられなければできないこと。

ずっと普通に健康であれば、仕事ばかりして、時間があれば会うのは友人で、親とすごすのはまた今度そのうちね、と言っていたと思います。

そう考えると、父も母も元気でいるこの時期に病気になったのは、わたしに大切な時を与えてくれるための計らいだったのではないかという気がしてきます。

これは、病気が持ってきた、わたしの一生にとってかけがえのない時間だったのだと思うのでした。

◇◇

最後の抗がん剤後、2013年11月27日の日記に「母が私の世話をするために来るのはこれで最後である。恐らく、今後、ここまで濃く一緒にいることはないだろう」と書いていました。

しかし、図らずもその一ヶ月後には病院に舞い戻り、それから追加で半年間もまたまた父母のお世話様になるとは、思いもしなかったのでした。

困った娘です。

母の紅葉
外に出られずにいたとき、母が拾ってきてくれた紅葉(消毒済み)
[療養中フォトギャラリー by iPhone (c)木口マリ]

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~ Comment ~

親のありがたみと勝手な娘

マリさん、こんばんわ。
本当にその通りですね。

私もひとり暮しが長く、手術で身内を呼べと言われ、第一回選択選手は妹。
しかし、子どもを置いて千葉から名古屋 に来るわけも行かず、母親が来ることに。

なんか、久しぶりに会うのが、
自分の弱っている時。
そんな姿を母に見せるのが恥ずかしく、
最初はなんとなく邪険にしてしまいましたが、やはり身内がいてくれる安心感は、はんぱなかったですね。
まず、気兼ねなく、頼みごとが言える(笑)
看護さんには、お願いしにくくても、母親には頼める。

私も、いろいろ(病気以外でも)親不孝な娘ですが、なんだか親の話相手をして、親も満足していたような・・。
普段は、なかなか話を聞いてやれないのでね。
一緒にいる時間って大事ですね。

でも私の場合、退院して家に帰ると、
家は勝手に掃除されていて(いろいろ大事な物を捨てられ)、
術後で体力ないのに、友達の所とかごはんに連れ回わされ(本人は良かれと思っている・・)、

親が帰って行く時、
『やっと一人で落ち着ける~』と思ってしまいました。。

やっぱり、勝手で親不孝な娘かも(-_-)

同感です

こんばんは
親に対しての気持ちは同じですね。
自分は母親しかいませんし同居てす。
何時も心では何かしらしてやろうと思ってました。
そして気が付いたら、自分は肺がんステージⅣ。

男の自分は、なかなか親と面と向かって話すことがなくって。
癌がわかった今でも面と向かって話せてません。
残りの時間で何をしてやれるのか?
親孝行の1つでもしてやれるのか?
何もしてやれないままなのか?
でも同じ場所で日々を過ごせるようにと思ってます。

親って有難い存在ですよね。
だから少しで元気で生きていることが
今の自分に出来る親への恩返しであり、親孝行なのかもしれません。

マリさんもいろいろあると思いますが頑張って下さい。

>あう さん

あうさん、おはようございます!
今日は東京は曇り空〜。

あうさんの気持ちも分かります〜!善かれの気持ちの行き違い!
それでイライラしてきて冷たくしてしまったりして……。心の奥底では感謝してるのに。
邪険にしてしまうのも親への甘えがあるんでしょうね。子供はいくつになっても親に甘えているんだなあ。

素直な時をみはからって、謝るようにしています。
そうすると、「そんなこと、分かってるよー」と言われます。
かなわないなあ。

>hiro さん

おはようございます!

親って、さすがだなあと思います。
私たちが自分の記憶すらないような赤ちゃんのころからずーっと見ていて、大切に思ってくれていて。
その想いの深さはそれ以上のものがないと思います。母からもらったシーサーの魔除けには何にも勝る念が籠っている気がして入院時には毎回持っていきました。

せめて親より先に死にたくはないと思いつつ、私もそうなる可能性はあると思います。
今日なるかもしれないし、明日かもしれないし、ならないかもしれません。
それに対しては何もできないですが、それならば、今を思う限り正しく生きて、それを両親やほかの大切な人たちにも感じ取れる形としてあげるべきだろうと思いました。
私も言葉として親に伝えるのはなかなかできませんが、花を一輪あげるでも、笑顔を見せるでも、少しでも表現できるようにしていきたいと思います。

お互いに、いい人生だった!といえる生き方をしたいですね!

マリさん30後半!?驚き!!
全然若いんだもん(ToT)
と、こんなコメントから始めてすみません(^^;

私は病気になってから親には感謝と謝罪の気持ちが増しました
今も持続中です
ただ、なかなか形にして表せなくて
ベタな娘だな…と
不器用な自分を呪っています(^_^;)

娘との時間を取り戻すマリさんのお父さんと、紅葉を持ち帰るマリさんのお母さん、どちらも素敵な方ですね(^^)
  • #477 ちっくたっくぼんぼん 
  • URL 
  • 2014.11/09 23:56 
  •  ▲EntryTop 

>ちっくたっくぼんぼん さん

いやあ〜、ありがとうございます(//▽//)/
来年40ですが、「30代後半」と書けるのは今だけだと思って書いてしまいました。

私もがん発覚後は人のことを考えるようになりました。
今この時に考える運命だったというか、そういうタイミングだったのかな、なんて。
なかなか表現するのは難しいですが、そういう気持ちがお互いの中にあることが分かっただけでもよかったなと思います。
葉っぱはまだ同じポジションにありますよ!一年越しの落ち葉!触ると崩れそう。
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